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転々し、酩酊

すなわち、世界ではまだ何一つ最終的なことは起こっておらず、世界の、あるいは世界についての最終的な言葉はいまだ語られておらず、世界は開かれていて自由であり、いっさいは未来に控えており、かつまた永遠に未来に控え続けるであろう、と。(『ドストエフスキーの詩学』P.333)

「原作どおり」は原作が悪い

「原作がある映画の場合、観客がある程度、原作をそのまま映像化した映画を期待するのは仕方のない部分があります。でも、フィルムメーカーはそうしたファンの期待に応えるために映画を作るのではありません。いい映画を作ることがフィルムメーカーの責務であり、目標なのです」

日本のラノベをハリウッドで実写化!その裏側を監督&プロデューサーが明かす(1/2) - シネマトゥデイ

 原作がある作品の映画化というのはこういうスタンスのほうがよい。しかしこのプロデューサーが言うとおり、大多数の消費者は、原作そのままを映画化(映像化)してくれ、と期待している。だがこれは消費者たちに問題があるのではなくて、原作自体に問題があるのではないだろうか。
 原作が小説の場合を考えてみる。
 ビジュアル(アクション、世界観など)が重要となる一部の作品の場合、文章表現よりも映像表現のほうが親和性が高い。だから、そのような作品の映画化は原作どおりにしてくれ、と消費者は言う。
 その場合、原作の描写が映像よりも劣っている、とファンは言っていることになる。そして、なんだか変な感じだが、ファンはそれに気づいていない。原作をそのまま映画にしろと言っているのは、一面では下手に変更するよりそのままのほうがおもしろい、と思っているのもあるだろうが、原作描写を映像描写にしたら、やすやすと原作描写を超えられるだろう、とも思っているのもあるからだ。それはマンガの場合もおなじだ。静止画よりも動画のほうが、よい描写ができるはずと消費者は考えている。
(そんなに多くはないと思うが)はやく映像化してくれ、と言われる作品は原作の描写では物足りない、不十分だ、とファンに言われているのに等しい。だから映画化(映像化)するときは、原作そのままでやるとリスペクトどころか、ディスリスペクトしていることになるので、映像化する場合は原作から変更したくなるのは当然の帰結だ。
 だが映像化するほう(映画制作者)に力がない、というのが散見される。だから、原作そのままのほうがまだましだ、という消費者の声は本当によくわかるけど、アレンジしてだめになるのか、ディスってでも原作どおりか、どっちがよいか僕にはわからない。ならばいっそ、「原作どおり」と、「アレンジ」のどちらも作ったらどうだろう。
 そうすると、「原作どおり」と「アレンジ」が競うことになって、売れるためにはよい「アレンジ」をしなくてはならない、と「アレンジ」を作る側は思う。ということは、もっとよい作品がでてくる。
 それは映画のほうだけではなくて、原作のほうも、「原作どおり」のほうが原作よりもよいと言われるような作品ではなくて、原作でしかこのよさはありえない、と言わせるような作品を作っていくようになるだろう。
 どっちも作るコストとかはなにも考えずに言っている。だが、キャストやスタッフを変えずに、「原作どおり」と「アレンジ」を作るのは可能ではないだろうか。ふたつ作る前提で撮影をし、同じシーンを使い回しながら、編集でふたつの作品へと仕上げてゆく。
 かなり理想論だけど、けっこうおもしろいんじゃないだろうか。
 だがこの方法は実写映画のときしか使えなくて、アニメーションではできない。