転々し、酩酊

すなわち、世界ではまだ何一つ最終的なことは起こっておらず、世界の、あるいは世界についての最終的な言葉はいまだ語られておらず、世界は開かれていて自由であり、いっさいは未来に控えており、かつまた永遠に未来に控え続けるであろう、と。(『ドストエフスキーの詩学』P.333)

これさえやれば内定がもらえない! シューカツ必敗法 ――またはシューカツの非精神性

 就職活動をシューカツと略すのは、まったく別のものに変質させるため(したため)というような意味の言葉をどこかで見たが、それはまったくそのとおりである。

 わが身が特定されるようなことはあまり書きたくないのだが、私が所属している大学は、就職を希望するような学生が来るところなどではない。いわゆる社会からドロップアウトした、もしくは社会からドロップアウトしたい、という人間が来るような場所である。もちろんわずかながら、希望に満ちあふれた、社会でやっていきたい、と考えるひともいるのはいるのだが、そういうひとは白い目で見られる。私たちは、社会を批判的な目で見なくてはならない人種であるからだ。
 と、そこまで言うとわかるかもしれないが、私が通う大学は、美大である。固有名詞は出さないが、まあすこし調べたら出てくるであろう。
 そんな美大がである。就職活動、いや、ここはシューカツと言ったほうがいい。その、シューカツに力を入れているのだ。
 なんという倒錯、と思いながら斜めに構えていたのだが、いやおうなくシューカツに参加させられてしまった。研究室から、ゴーセツ(合同企業説明会!)の説明会に参加せよ、との命令がくだったのである。
 説明会の説明会とな、とわがゼミ教官も鼻で笑ったが、大学がわの人間の認識でさえこれである。学生である私たちはいわずもがなである。
 シューカツというものにまったく興味を持たずにいたせいで、このゴーセツという言葉も初めて聞いたのだが、なんと、このゴーセツという言葉は、大学側が公式に使っている言葉である。「ゴーセツがあります、ゴーセツがあります」と、事務員などがいっているのならばいいのだが、そうではない。看板にでかでかと、ゴーセツと書いてあるのだ!(ここで冒頭の一文を思い出す)

 以上が前フリというか、小話。
 ここからが本題だが、結論はすぐに出る。

 さて、世はまさに大シューカツ時代といわれているが、大学生たちはかなり必死である。
 シューカツ用メイク講座やら、シューカツ用スーツ着こなし講座やら、よくわからんものに踊らされるほど思考能力がなくなっている。
 シューカツは大学三年生の後半からはじまる。大学生活の一年半をシューカツに費やすのである。これはとてもおかしいことで、本来大学は学ぶための場所である。大学が就職活動を支援するというのは、本来の意に即していない。大学は職業訓練校じゃない!
 だが、現在のシステムでは、新卒というものがあって、大学を卒業したら就職をするのがよい、というものになっている。そのため、需要としてシューカツがはじまるのである。その需要というのは学生が生み出しているものではない。むりやり需要が与えられているのだ。
 そのためわれわれ学生はなにをしたらよいのかがまったくわからない。言われたとおりのことをやるしかないのである。
 みなが同じメイクをし、みなが同じスーツを着て、みなが同じ礼節も持って面接にあたり、みなが同じことを言う。じゃあこれで、どうやって人材を決めるのか。決められるわけがない。人事はなにを見ているのか。
 しっかりとした態度を示せ、ボランティアをしろ、マナーを、未来を、夢を……ぜんぶ精神論である。
 精神論で内定が取れるのだろうか。
 いや、取れるわけがない。
 精神はつけ焼き刃でどうとでもなる。そう、いわゆるビジネス書を読んだり、なんちゃら説明会に行って身につけられるものである。
 そんな中身のないからっぽな人間たちがシューカツをやっているから、そりゃもう大人たちは、若者はダメだ、と言うのである。
 お前たちが心の持ちようでどうにかなると言うから、私たちはそうするのだ。
 ではなにが求められているのか。学歴か? 学歴もまた中身のないものである。資格か? ならばベテランのほうがよい。ならば実績だろうか。
 そうだ、実績なのだ。
 私たちは実績を求められている。会社に入ってから生み出すであろう実績をすでに求められているのだ。
 学生のときの実績をどうプレゼンするかによってシューカツは決まる。(ポートフォリオの偏重にその片鱗を見ることができる)
 私たちに未来などない。いまある実績、実りを社会に摘み取られるためにシューカツをするのだ。
 私たちは生み出すものではなく、ただの鉱山である。どれだけの埋蔵量があるかを査定され、二束三文で買いたたかれ、枯渇すればポイ。
『みなが同じメイクをし、みなが同じスーツを着て、みなが同じ礼節も持って面接にあたり、みなが同じことを言う』
 これは、社会が私たちの埋蔵量がどれだけあるかを見極めるため、余分なノイズを減らすために強いていることだ。

締めに

 私たちは商品だ。だから、いまやるべきことは、どれだけ高価な商品に見えるか試行錯誤するべきである(ネガティブ)。


 あ、「社会」とか出てないんで、とりあえず仕事ください。