転々し、酩酊

すなわち、世界ではまだ何一つ最終的なことは起こっておらず、世界の、あるいは世界についての最終的な言葉はいまだ語られておらず、世界は開かれていて自由であり、いっさいは未来に控えており、かつまた永遠に未来に控え続けるであろう、と。(『ドストエフスキーの詩学』P.333)

詩とはいったいなんぞや

 詩人とはいったいどういう存在なのだろうか。だって、読まないでしょ、詩なんて。ジュンク堂にいっても詩集のコーナーなんてほんとに一角にしかない。一角にもない本屋なんてざらだ。

 小説家の存在はわかる。小説は読者を想定し、伝えるべきメッセージを(作者にとって)わかりやすく書く。いわゆる小説は、読者と作者のコミュニケーションなのだが、はたして詩はコミュニケーションだろうか。

 詩は読んでもわからない。高村光太郎の『智恵子抄』はたしかにわかるんだけど、あれは高村光太郎という人物がどうどうどういう人物で、ということがわかっているから、書かれている詩がどういう意味なのか理解できる。

 僕は星空文庫を推そうと思っているから星空文庫の名前を出すんだけど、星空文庫にある詩を読んでわかる人がいるのだろうか。

 いや、そのわかる、というのは共感する、だとか、作者がどういった意図でこれを書いたのか、とかではなく、自身のなにかを暴かれた感覚とでもいうのか、新たな面白さをみつけだしてくれる、だとかそういうことがあるのだろうか。

 詩は、共感、という要素が大きいと思う。ただそれは、その作品の強さではなく、読者自身の経験や思想の強さであって、その作品が優れていることにはならない。

 詩人は共感してほしいから詩を書くのか? 違うだろう。共感してほしいなら、もっとわかりやすい言葉で書けばいい。それこそエッセイを書けばいい。Twitterでもいい。mixiでもいいし、facebookでもいい。Blogだってエッセイみたいなものだし……。


 じゃあ、詩はいったいなんのなのか。自己表現なのか。

 自己表現かあ……。いやな言葉だなあ。つまり、わたしをみて! わたしが書いたこの文章! きれいでしょう? ということ。それは、本当にどうでもいい。お前なんて興味ねえよ。
(その自己表現が作品になる人種というのもいて、それは芸能人というものだけれど、それは置いとくとして)

 ならば、詩というのは、詩人の思考のアウトプットの結果なのではないか。他人にみせるための作品ではなく、自身の思考の結果生まれ落ちたもの。余分なものがそぎ落とされる、洗練される、とかそういうわけではなく、思考がその詩人にとって気になる言葉を通る、そのときに詩人は詩を書く。だから、排泄物に似たものになることもある。

 他人にみせるための作品ではない。だから、詩を公開する意味なんてない、のかもしれない。


 ただ、高橋源一郎がこんなことを言っていて、

いまこの詩集を読み返すと、みんなが「書きたい詩」を書いている中で、大江さんは「書かれるべき詩」を書いたのだ、という思いが強い。それ以上の説明は、いまは必要ない。あとは、読まれるのを待つだけだ。

「昭和以降に恋愛はない」大江麻衣 - 立ち読み|新潮|新潮社

 高橋源一郎と詩人の城戸朱理とのいろいろがけっこう前にあって、高橋源一郎のこの発言を知ったのだけれど、詩人は「書かれるべき詩」というものを、深層心理の部分で目を据えながら詩作をしているんじゃないかなと感じる。

 というよりも、詩というものは、詩人というフィルターを通して、なにか(世界、社会、人間etc)を言語化したもの、というものなのではないか。だから、「書かれるべき~」というのは当然のことなのである。

 詩人は、詩というものを扱っているのかもしれないが、本当は、詩というものは人間よりもはるかに大きなものであって、詩人は詩が世に生まれてくるための母体にしかすぎないのだ。

 むろん、その母体(詩人)がどのようなことを感じたか、ということは子(詩)に影響するから、詩人というものはいなくてはならない存在ではあるが。


「書かれるべき詩」というものは少ない。少ないというよりも、わたしはお目に掛かったことがない。だからこそ、巷にあふれている詩はしょうもない。それは仕方ないことだ。詩人は「書かれるべき詩」を書いているのか、それとも「詩人が書いた詩」を書いているのか、筆を執っている時点ではわかるはずもないのだから。

「書かれるべき詩」が生まれるときは、詩が読者の手にわたったときであり、つまり「書かれるべき詩」というものは、わたしたちが生みだすのである。それが、詩と読者のコミュニケーションだ。

 だから、「書かれるべき詩」を生みだすためにも、たまには詩を読んでみましょう。


 大江麻衣の詩集は売っていない。「新潮」の2010年7月号に載っているので、どこかでみつけたら買う。

さようなら、ギャングたち (講談社文芸文庫)

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