転々し、酩酊

すなわち、世界ではまだ何一つ最終的なことは起こっておらず、世界の、あるいは世界についての最終的な言葉はいまだ語られておらず、世界は開かれていて自由であり、いっさいは未来に控えており、かつまた永遠に未来に控え続けるであろう、と。(『ドストエフスキーの詩学』P.333)

これは天啓

これは天啓


 今ではもう宇宙というものがあることが分かってしまったけど、はるか昔、雲を超えて、青い空を超えて、星が描いてある壁の向こうには翼のない人間が住んでいる世界がある、と言われていた。
 今でもそれを信じている人が多いけど、ちょっと待ってくれ、と僕は思う。そもそも翼のない人間ってなんだ? 翼がなくなって、空を飛べなくなって、地べたを這いずることしかできなくなった僕たち、が向こうがわにいる。そう、それはわかる。でも、なぜ翼がない人間が向こうがわにいる、って想像したんだろうか。翼がない人間、ってぜんぜんロマンがない。だって、僕たちよりも劣っているのだから。
 トスリキ教という、もう廃れてしまった宗教がある。そこの聖典にはこんなようなことが書いてある。
「空の向こうがわには翼のない人間が暮らしているが、私たちは以前は同じ場所で暮らしていた。世界がひっくり返ったとき、彼らは空の向こうに落ちていき、私たちは地面へと落ちていった。翼のない者と翼のある者はそのときに振り分けられた」
 彼らの聖典を紐解くと、僕たちは元々翼のある人間と翼のない人間が一緒に暮らしていたらしい。それも、あの空に住んでいたのだ。この話の一般的な解釈は、翼がある人間たちを聖別しているのだ、となっているが僕は違うと思う。様々な文献や、おとぎ話、童話、伝承などを調べればわかることだが、昔から人々は空の向こうがわにあこがれていた。つまり、空の向こうより、こちらがわのほうが劣っている、と思っていたのである。だから、僕たちが神に祝福された、など昔の人々は毛頭思っていなかったはずである。ならばなぜ、この話が作られたのだろうか。

 今ではもう宇宙というものがあることが分かってしまったけど、本当にはるか昔、僕たちの先祖は翼のない人間と一緒に暮らしていて、あるとき離ればなれになってしまった。翼がない人間は、空の向こうがわに落ちていってしまった。
 これは本当の話だ。
 科学的に向こうの世界なんてありえない、と証明されたとして、ほとんどの人がそれを信じるようになったとしても、僕は翼がない人間が住んでいる世界はあると思う。

「君は知っているかい? とある遺跡から発掘された、一枚の謎の石文のこと。ああ、知らないだろうね。まあいい、ざっと説明してあげよう。
 朝になると青くなり、夕方になると赤くなる。夜になると暗くなり、星が出てくる。翼がある人と翼がない人が暮らしていたところだ。そこは空と呼ばれていて、彼らはどうして空が変化するのかずっと調べていた。あるとき、へそのようなものをみつけた。翼がある人と翼がない人は一緒にそのへそを抜いた。その瞬間、あまりにも眩しく、とても熱い光が溢れてきた。このままでは焼け死んでしまう、と思っていたとき、神が『その光に近づいては焼け死んでしまう。翼がある人間は地上へと逃れ、翼がない人間は空の向こうの世界へと逃れよ』と世界をひっくり返した。翼がない人間は空の向こうへといき、翼がある人間は地上へと落ちていった。彼らは翼があったため、地上に激突することがなく助かった。世界をひっくり返したので、あまりにも眩しく、とても熱い光は世界の裏がわにいき、ぽっかりと空いたへそからはやわらなか光がみえた。
 これは考古学者たちが長年をかけて解読したものだ。これはたぶん、あの聖典からすっぽりと抜けていた第二章の部分であると思われる」

 僕の新しい友達はマニアだった。僕が翼がない人間が住む世界はある、ということを聞いて友達になろうと言ってきた変な人だ。
 僕の友達の目標は、空の向こうの世界をみつける。そして、なんとか行く方法を探す。というものだった。僕は半ば無理矢理、その夢につき合わされることになる。

『幻翼の天使』No.2