転々し、酩酊

すなわち、世界ではまだ何一つ最終的なことは起こっておらず、世界の、あるいは世界についての最終的な言葉はいまだ語られておらず、世界は開かれていて自由であり、いっさいは未来に控えており、かつまた永遠に未来に控え続けるであろう、と。(『ドストエフスキーの詩学』P.333)

子供のころの記憶の曖昧さと強固さ

伊勢崎あすか幼稚舎 ショスタコーヴィッチ 交響曲第5番 革命

 

 ブコメや、つべのコメントにもあるように、いわゆる北朝鮮的であると感じた。という感想が多々ある。

 強制、ということにそれを感じているわけではないと思う。たぶん、選曲が政治的思想を多分に含んだものであるから、それを強制させるのは、洗脳になるのではないか、ということであろう。

 しかし、はたして幼稚園生に曲の背景を理解できるのであろうか。

 wiki情報で申し訳ないのだが、ドミートリイ・ショスタコーヴィチというのは、旧ソ連のプロパガンダ作曲家であり、この交響曲第5番というのは、「体制への反逆者」という烙印を押されたショスタコーヴィチが名誉を回復するために作った曲である。

 たしかに、この情報だけをみればショスタコーヴィチは完全に共産主義者である。しかし、はたしてそれは本当なのであろうか、という議論がたくさんおこなわれているのも事実なのである。

 この曲の解釈は幾通りもあり、ショスタコーヴィチ共産主義者である、いやまて反体制主義だ、共産主義への批判だ、などと揺れ幅が大きい。

 つまり、これを正確に園児に伝えることなどできるはずもなく、ただ園児に演奏させているだけなのに、政治的価値を生み出すことなどあるのだろうか。

 たとえば、伊勢崎あすか幼稚舎の職員がなんらかのコメントを発しているのであれば、それは園児を使用し政治的アピールをしようとしている、ということにもなる。しかし、現実ではそのようなコメントは存在していない。

 ということは、この演奏は純粋に「音楽」としてみるべきものなのである。

 

 さてはて、しかしこのような難しい曲を「強制」させるのはいかがなものか、という問いにも答えておかなければなるまい。

 園児が喜んでこのような曲をやるとは思えない。それはそうである。もしかして一人や二人ぐらいは喜んでやっているのかもしれないが、後ろでシンバルをばちで叩いている男の子のやる気をみてもらえばわかると思うが、たぶん喜んでやってはいない。

 自分たちの幼稚園時代を思い出してもらいたい。歌を歌ったことは? 絵を描いたことは? 昼寝をしたことは? もちろんあるに決まっている。そしてそれは、自分からやりたいと言ってやったことだろうか。

 いや違う。昼寝なぞ、「はいおひるねの時間ですよー」と強制的に布団に潜らされて、眠たくもないのに眠らされるのである。

 子供というのは、自発的に行動すると自分の既知のことしかしない。「これなにー? あれなにー?」と聞くのは、それを既知のものとしたいからである。

 いやもちろん、既知ではない、まったくの未知の行動をすることもある。はさみを飲み込もうとしたり、ビー玉を湯がこうとしたり、である。大人にとっては、それは間違った行動であり、時には危険をともなうものでもある。

 だからこそ大人は、子供の未知を、危険ではない既知にかえるという仕事をしなくてないけないのだ。

 絵を画用紙に描くことも、鍵盤を指揮にあわせて叩くことも、それは大人が「強制」しなくては覚えることはない。大人が「強制」をすることなく、ただクレヨンを渡したとしたら、壁に描くのはもちろん、それを食べたり、投げたり、土に埋めたりするであろう。クレヨンの危険ではなく、本来の使い方を教えるために、画用紙に描く、ということを「強制」するのである。

「強制」をはなから全くの悪だと決めつけている人は、すこし考えなくてはいけないのではないだろうか。

 

 ただ、その「強制」の仕方も善し悪しがある。

 たとえば、私は色弱なのだが、幼稚園のころ、木の幹を赤色で塗っていたことがある。(それはもちろん私にとっては木の幹の色である)。しかしそれを幼稚園の先生は、「違うでしょ! 木の幹は茶色でしょ!」と言って叱るのである。

 それから私は絵を描くという行為がなんとなく嫌いなのだ。トラウマ、というほどでもないが、現在の私にも影響をおよぼしていることである。

 もしくは、幼稚園でマーチングをやったことがある。私は一番前でスネアドラムを叩いていた。いま思い返しても、それはとても楽しかったことのように思えるが、どう練習していたか、などはまったく思い出すことができない。

 もちろんマーチングなぞ、「強制」されなければ、やるわけがない。ただ、私にとっては面白い思い出であり、木の幹は茶色、と「強制」された思い出は、面白くない思い出である。

 

 だから教育ってほんとに難しいんだよなあ、言葉一つでその人間の人生を決定してしまうかもしれないのだから。

 

 暗譜すげーっていうコメントがあるけど、クラシックはよくわかんないんだけど、演奏において暗譜っていうのは前提じゃないの? 勝手に身体が動く、というぐらい練習するのが普通なんじゃないかなあ。スコアはただの保険とか、そういうのじゃないのかな。誰か教えてください。